明治5年(1872)、時の京都府参事槇村正直により、新京極は開かれました。明治天皇の東京遷都などにより沈滞した京都のムードを一掃するため、当時荒廃した寺院の建並ぶ寺町を切り開き一大娯楽街をつくったのです。名も寺町の古 名・京極に対して新京極と名づけ、以来、京都庶民の憩いの町として繁栄をつづけています。
■本能寺
室町時代の応永22年(1415年)の創建当時は「本応寺」という寺号でしたが、永享5年(1433年)に、寺号を「本能寺」と改めました。織田信長が明 智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られています。現在の本能寺は京都市役所南側にありますが、「本能寺の変」時には、西洞院蛸薬師付近(石碑)にあり、 豊臣秀吉により現在の場所に移転されました。
■タラタラ坂
昔、鴨川は現在の河川のはるか西に流域をなしていました。その流れの変遷過程をこの坂にみることができます。新京極通と平行に通っている寺町通と河原町通 には坂道はなく、新京極通だけが低くなっています。
■和泉式部寺

■蛸薬師
正式には浄瑠璃山永福寺といいます。本尊は石造薬師如来。俗に蛸薬師と呼ばれています。蛸薬師と称されるゆえんは、昔、この寺が二条室町にあったころ、付 近に池があったことから、澤(たく)薬師と呼ばれ、なまってその名がついたといわれています。また、一説には、かつてこの寺にいた親孝行な僧が病身の母の 求めで 「タコ」を買って帰るところを町の人に見とがめられ、薬師如来に難局を救ってくれるよう念じたところ、タコの足が八巻の妙法蓮華経に変わり、難を逃れ、ま た母の病も癒えたという逸話から、親孝行の僧侶を守った本尊の霊験であるとして本尊の薬師如来を蛸薬師というようになったとも伝えられています。
■錦天満宮
今も「錦の天神さん」として、庶民の信仰をあつめているこの社は、もとこの地にあった歓喜光寺の鎮守社です。明治の神仏分離で寺は東山五条に移され、神社 のみが残りました。学問の神様・菅原道真を祀る神社です。錦天満宮境内の井戸からは、京の名水のひとつに数えられる錦の水が湧き出しています。
■染殿地蔵
京都唯一の裸の地蔵さんで、寺伝では文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)は、このお地蔵さんに安産祈願して清和天皇をお産みになったそうです。それにあや かり安産のお地蔵さんとして女性の参拝が絶えません。
■誓願寺
誓願寺は飛鳥時代、天智天皇の勅願によって奈良の都に建てられましたが、その後、鎌倉初期に京都の一条小川に移され、さらに豊臣秀吉の寺町整備に際して天 正19年(1591年)に現在の地に移転しました。当時は6500坪もの境内に塔頭寺院が18ヶ寺を数える大寺院でしたが、いまは本尊阿弥陀如来像を安置 する本堂と庫裡などを有するにすぎません。誓願寺にゆかりの深い歴史上の人物も大変多く、ことに「清少納言」「和泉式部」「松の丸殿」といった女性たちか らの深い信仰を集めたため「女人往生の寺」とも称され、そのほかにも落語の祖と呼ばれる「策伝上人」や謡曲「誓願寺(世阿弥作)」に謡われるなど、落語発 祥の寺、芸道上達の寺としても広く信仰を集めています。
■倒蓮華寺
本尊は阿弥陀如来立像。その台座の蓮華八葉が、さかさまになっているところから、「さかれんげ寺」といわれており、正しくは安養寺といいます。寛仁2年 (1018年)恵心僧都が奈良県當麻に建てた蓮台院が当寺の起こりで、次いで恵心の妹安養尼が居住して安養寺と改名しました。天永年間(1110年頃)京 都に移り、天正年間(1580年頃)豊臣秀吉によってこの地に移されたました。伝説によれば、本尊を造る際に蓮華形の台座がどうしても壊れるので、蓮華を 逆さにしたところ無事に完成。女人は業が深く心の蓮華は逆さまとなっていて、極楽往生が出来ないので、これを救済するために、わざと蓮華を逆さにしたのだ と説かれています。本尊に纏わるこのような伝説によって、昔から特に女性の信仰が深かったそうです。
■第二京極


■花遊小路

▼新京極七不思議
●タラタラ坂
●迷子の道しるべ(誓願寺)
●阿弥陀如来像(誓願寺)
●逆蓮華(さかれんげ)の阿弥陀如来(安養寺)
●未開紅の梅(長仙院)
●和泉式部塔(誠心院)
●地蔵尊(染殿地蔵)